※こちらのページは3月いっぱいの公開とさせて頂きます。

 

正直、まだ信じられない気持ちです。

今まで言葉では表せないほど沢山お世話になってきました。

本当にありがとうございました。

 

 

何か書いてほしいと色々な方が連絡くださいましたが、どこへ向けて何を書けば良いか分からず、訃報を知った当日、振り絞ったのが上の言葉でした。

これを書いている今でも、まだ完全に気持ちの整理はついていませんが少しは落ち着いてきたので追記します。

はじめて鳥山先生にお会いしたのは、13歳の頃、学校へ通えず不登校をしている時でした。

当時は”学校へ通えない自分は、このままじゃ大人になれない、生きていけない!”と本気で思っていました。

お会いするのは一度だけではなく、それからも漫画を描くたびに先生は会ってくださいました。

僕の拙い漫画を読んでくださるとアドバイスを少しくれて、あとはほとんど身近であった出来事や好きな映画の話などをして過ごしました。

”不登校の少年”ではなく、ただの近所の漫画好きな少年として接してくれるだけで、僕にとっては世界が広がったようでした。

その上、目の前にいるのは小さい頃から大好きだったドラゴンボールを描いた憧れの人です。

最高に恵まれた時間でした。

大袈裟ではなく、生きる意味を見つけた気持ちでした。

それから今に至るまで30年、年に数度お会いしては近況をお話しするという交流を続けさせて頂きました。

読切マンガの原稿を少し手伝わせて頂いたこともありました。

先生の作業を間近で見れたのは夢のような体験でした。

中学生だった僕も、いつの間にか、いい大人です。

これまでの人生で鳥山先生の言葉や存在がどれほど励みになったか計り知れません。

最近は僕の仕事や近況を嬉しそうに聞いてくださっていたのが印象的です。

そして今年1月のメールのやり取りが最後になってしまいました。

僕に春に子どもが生まれますという報告でした。

「まさか、あの棚橋くんに子どもが(笑)」と、ご返信もお元気そうな内容で、順調に回復されているのだなと安心していました。

最後の文は「また連絡してね」でした。

もうお会いしてお話できないと思うと、悲しくて堪りません。

自分の心の中の大きな存在が消えてしまったような感じです。

僕はずっと鳥山先生のような大人になりたいと思っていました。

今でも思っています。

ここ数年は、お会いすると「相変わらず頑張ってるね」と褒めてくださいました。

これからも「相変わらず頑張ってるね」と言ってもらえるように、精一杯仕事をして、そして先生のように家族を大事にして生きていきたいです。

本当に本当に感謝しかありません。

ありがとうございました。

鳥山先生のご冥福をお祈りすると共に、ご家族に心からお悔やみ申し上げます。

2024年3月12日 棚園正一

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